今日の話題「日中友好と人格的成長」 2013年6月16日

昨日は、15時から横川先生の中国児童文学のご講義が開講された。月に一度のペースで、次回は、7月20日(土)成徳学舎。
 最新の語学教育や児童文学を通じての教育活動に触れることが出来て感激した。
中国語を学ぶところから両国民間の文化交流が深まるだけでなく、交流を基礎とした知見の広がりや思考力、コミュニケーション能力の開発によって、「各自の人格的成長」を実現すること。
これが、この講義の目標だと教えられた。
今後も、出来るだけ参加して、この目標を実現したい。
語学教育といえば、一種の技術教育で、通常の教育では、暗記が強く求められるものだから、‘語学ぎらい’の学生や社会人は数多い。
なぜだろうか。
昔は、「馬鹿になったつもりで」勉強せよという言葉が平気で言われていた。「そんなことういうと‘馬鹿’という言葉が、怒ってきますよ」とからかい半分で応戦していたが、日本の教育には、このような不合理な発想が根強く残っている。スポーツ教育でも、暴力がよく登場するのは、教え子を対等な人格として尊重しない、「知らねば体で覚えろ」という粗野な発想があるようにも感じられる。
語学教育は「互いの国民を尊敬の眼を持ってみる」という姿勢が前提であろう。
互いを敬うというところから日本の教育を見直すことが、テストの仕組みを変えるよりも重要ではないか。
また、最近は、グローバル人材の育成という掛け声がかしましく、「対外交渉や交流に‘強い日本人’を育てるそうであるが、語学力が強くて、生存競争に強いだけでは、国際競争の中で挫折するのは目に観えている。
いま、必要なのは、「強い」よりも、「敬意」を呼び起こす人格ではないだろうか。
 
さらに、驚かされたのは、第二大戦終了直前、広島や長崎にアメリカ合衆国軍が原爆を投下したが、当時の対日戦闘国、米英中ソなどのうち、中国のみが「原爆投下は残酷だとしてアメリカ合衆国に抗議した、と、うかがった。
第二次大戦中、自国の国土を侵略した、当の、日本国の国民の立場に立って敢然と大国に抗議する高いモラル。これをお教えいただいただき、心より感謝申し上げたい。
私は、第二大戦中に、大阪でアメリカ軍の空襲にあい、危うく死にかけた経験がある。その前にも都市を全滅させるような濃密な「焼夷弾」攻撃で、「みなごし」の印象が強かったので、このお話は一層胸に響いた。
私は、30歳のころ、中国語の勉強を志して周恩来の中国標準語確立に向けての講演録を学習した経験がある。周恩来は、言語の改革によって、新中国の建設を不動のものとしたかったのであろう。その熱意は、今でも、記憶に残っている。
 しかし、長い間、日本語を英語に直し、英語を日本語に転換して、学術交流を促進する仕事に熱中し過ぎた。その結果、申しわけないことに、そのほかの言語、ドイツ、フランス、イタリア、中国など、ほとんど、忘れてしまっていた。ひところ、京大に中国からの留学生が急増した時期があって、そのときは、かなり、頑張って思い出していたのだが、天安門事件から急に中国との日常的なコミュニケーションの習慣を失ってしまった。いま、思うと、そのようなときこそ、勉強すべきであったと反省している。

 80歳の手習いの始まりである。

今日の話題「日本財政学と課税根拠・制限の思想」 2013年6月13日

財政学の研究をしていると、「課税」についての考え方が実に多様であることに驚かされる。
 市民革命後の課税の根拠については、次のような説明が行われてきた。
「市民が国家をつくったので、それにともなって生じてくる市民の責任として、市民の代表者である議会の同意のもとに課税する。」
これは、フランス大革命の人権宣言にも登場する最も普遍的で基本的な考え方である。
日本の税法でも「租税法律主義」という考え方を採用しているが、この考え方も、市民革命後の納税思想・租税思想を引き継ぐものである。
市民が主権をもって代議制の国家を建設し、国家によって、私有財産や人権を守らせる必要から、立法府を創り、行政府を維持し、司法府をつくる必要があると主張されてきた。
この必要から市民は「納税の責任」を負い、それを分担するのである。
英語には、liability to tax という適切な表現があって、「納税責任」というべきものであろう。
 これにたいして、古代国家の成立から、日本では、明治国家の確立にいたるまで、納税は市民の責任ではなく、臣民としての義務である、という考え方がる。
すなわち、「納税は‘臣民’の義務であり、皇帝や天皇のもとに家族のように生きている以上は、国家という「家」を守るために納税は義務である」というわけである。
それは、租税根拠論としては、非常に薄弱な論理であって、市民が創った国家ではないのに、臣民としての義務を一方的に課せられるのである。そこで、この説では、「家」という議論を持ち出して、国家もまた家であり、家というものは、長子が相続する自然な人間秩序であるから、この秩序に従うべきだというのであった。
いまでは、各国憲法は、市民の納税を責任という表記であれ、納税義務という表現であれ、市民が主権者であって、主権者が自らの意志で、自らに課税するという考え方を確立してきた。
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日本財政学の講義を月に一度、市民大学院で行うことになった。
その理由は、昨日の講義録によると、次のようなものである。
「池上 惇『日本財政論』実教出版(2000年初版)は、いまも、出版されている研究書である。明治から現代までを扱っていて、2000年以降に出たものとして、これだけの範囲をカヴァーし、同時に、現代の地方財政再生の方向から日本財政再建を論じたものとして学術界に貢献してきた。
 しかし、最近、市民大学院で、文化政策・まちづくり村おこしの講義をしている中で、この書には、随所に顔を出しているが、未展開のままに終わっているものがあること。これが、気になりだした。
 この書を執筆していたころは、まさか、80歳近くにまで生き延びて、しかも、普通に学術研究が出来ていて、出版活動もできるなどとは、想像もしていなかった。
 しかし、幸い、生き延びているので、未展開の部分を、いま、集中的に研究している、とくに、尊徳研究など、日本思想研究の中で、改めて位置付けてみると、従来の財政研究や租税思想研究にはない、新たな領域に立ち入ることが許される。このように感じるようになってきた。
 そこで、今回、荒木一彰君に奨められるままに、「日本財政学」を開講する運びとなった。」
 そこで、尊徳の課税根拠論を研究し始めたのである。
 彼は、封建君主つまり国家の「家」が人民に課してきた税が、過重で、人民の家計を圧迫し、高利貸しからの借金などによって辛うじて生活している実態に注目した。
 そこで彼は、150年間の国家収入の記録を提出させ、平均値を算出し、異常な減収期の実態をも考慮して、国家が年間に消費できる標準消費額を決めさせた。
 この範囲に国家財政規模を縮小して「国家の課税権を制限する」ためである。
 かれは、商人としての専門的な会計の知識や長期にわたる飢饉や減収期の研究を基礎に、いわば、知的情報処理の力量を通じて、国家(領主・領民)を説得し、国家の課税権を制限して、人民の家計に、生産や商業活動が活性化する「ゆとり」を生みだそうとした。
 これは、日本財政学の原点といえる功績であって、財政は、課税の義務中心の運営から、「国家課税権を制限したうえで、市民社会の産業や商業を振興し、各家の所得が増加すれば、自分の責任で納税する」ものへと転換させた。
 この租税思想は、絶対的な国家への納税義務説から、「国家の課税権を制限して市民主体の自発的納税体制に転換させる」ものであった。また、これによって、税は国家に収めるものから、尊徳や高僧が提起する社会、あるいは、コミュニティ(仕法実施の村、高僧がつくる寺内町など)への自発的納税・公共社会への出資へと転換される。国家財政は、新たに構想された公共社会の一部に位置付けられ、国家とは区別される公共社会が「尊徳仕法」「寺内町」などを通じて誕生する。
つまり、尊徳の日本財政学は、①民間商業人の智慧である会計の知的成果によって国家の課税権を制限し、②「市民社会の自主的な構築と、産業振興などによる所得確保による納税責任の遂行」へと転換を図るのである。
尊徳仕法の構想と実践は、まさに、このような日本財政学の実践であった。
この視点から「日本財政論」を書き直して「日本財政学」としての姿を示したい。あと、何年生きるかわからないが、できなかったら、次世代に託することにして、まずは、始めてみたい。

この機会を与えていただいた、市民大学院事務局の各位(中谷、小野、加藤、荒木の4氏が中心で多くの支援者がおられる)、今日まで、私の健康を支えてくれた妻、順子にもに深く感謝する。

今日の話題「繁昌学の学術的貢献ー町衆と神の対話」 2013年6月13日

前回、ご紹介した繁昌社、渡御再生の中心となれた方は、繁昌社の歴史を誰よりも深く研究されて市民大学院で講義されてきた。
この一年、お話を伺うたびに、神話や歴史的事実の発見や再発見の積み上げがあった。全国的な視野での調査や現地への訪問があり、神社研究関係者との人的ネットワークが発展していった。
まずは、地域の人々、氏子を守る神の存在としての繁昌社という視点からの接近である。研究された方は、古来、日本の各地には、岩、水、緑のなから生命が生まれ、パワースポットとして、人々の生活に拠りどころを与え、そこに、神話に登場する神をお迎えするという。その神は、住民を守る使命から、一面では、強くて、賢い存在であるとともに、人々に安らぎを与える神でなければならない。
ここから、繁昌社の中心となる神、弁財天の持つ意味が解明できる。
弁財天は古くから今日まで絶大な人気を保つ才色兼備の女神」であると指摘され、七福神の中の紅一点。豊かな才能と力量に恵まれ人々を守り抜く勇気と力を持ち、同時に、インド伝来の「流れるような弁舌で周りの者を魅了し音曲や諸芸の才に秀でる」商売繁昌の神。
この神は、天からご降誕あるのみではない。地域の人々との応答の中でこそ、神が位置付けられる。神は、民衆や町衆の期待に応えて豊かな意味を付与され成長してゆく。
この視点は素晴らしい。
歴史的事実を解明してゆく上で、繁昌社の境内にある、灯ろうや神輿なども、「事実」を伝える重要な手がかりであった。燈籠はキリシタン大名として知られ、日本初のプロデューサーとして庭園や建築物を設計した、古田織部の「おりべ燈籠」である。神輿の設えは華やかで、女性神の輝きを伝え、金属や繊維工芸の高い水準を示す。町衆文化の結晶としての品格を感じさせるつくりである。これも、町衆との応答関係を示す。
私がとくに注目したのは、京都にある近隣の古地図、そこに描かれているまちなみや地名から、旧社の規模や活動の範囲が推定できること。また、神輿巡幸のとき、周囲の繁昌に関わる‘営み’が繁昌社保存の資料や、絵画、販売されたいたお札や絵馬などから推定できることである。これらは、情報発信の源としての繁昌社と、地域に住む町衆・住民との応答関係の存在を示すから、非常に価値な高い資料ではないかと考えられる。
街並みや町名は、過去の現実の生活のシンボルである。このシンボルは、従来の歴史学が重視してきたもの、すなわち、‘人間精神が生み出したもの’のシンボルである神話や伝説の中に登場する人間」とは違う。
そのなかで、研究を深められて、大きな屋敷の中の謂れのある池のほとりに立つ社。これが繁昌社の原点として発見された。
これらを踏まえてみると、‘神話や物語の描く世界とは別の’歴史的な事実が、繁昌社に残る岩や、水、灯ろう、神輿などから、跡付けることが出来るし、さらに、街並みや町名からも、賑わいのある時代や通りの状況が、正確に推定できる。
実は、学者の書いたものは、大半が、神話や物語の解釈によっている。この手法は、一見すると論理的ではあるが、現実の生活などとの応答関係はない。あったとしても、後付けである。そこで、云われていたことは、境内に現存するもの、や、古地図などからの推定によるものと比べると、民衆の生活の中で、繁昌社が、なぜ、深く敬愛されたのか、が、不明であること多い。
私も学者の端くれであるから、これには、深く反省させられた。
 実際のご活動の中では、古い土地柄だけに、さまざまな先人の知恵とともに、新たなことを始めようとすると、厳しい状況にも直面されたご様子。
 でも、それらを、文化的伝統を深く研究され、この地に根差した生活の基盤をお持ちであるという「地元文化力」を背景に着実に乗り切ってこられたご様子が、よく理解できた。

 御研究の益々のご発展を祈りたい。

今日の話題「繁昌学による‘まちづくり’の一日」 2013年6月12日

昨日は、市民大学院の丁度、北側にある繁昌神社を御研究、かつ、この神社の祭りを復興された方々のご講義があった。
 素晴らしい内容であった。
 「人賑わって
    夢賑わって
  町も日本も
    繁昌しましょう」
 繁昌社のシンボル、赤い桃の実を両手で支え捧げた風格のあるお姫様。
 笑顔で、このように、人々に語りかける。
 この一枚のスケッチと、コピーに込められた思想。
 それは、かつて、この地に根差した氏神として、大きな森、土地や池を持ち、人々の繁昌を願う心の故郷として地域の希望を意味した繁昌社再生へのメッセージである。
 神輿の復活は、実に、72年ぶり。新聞も大きく取り上げた。
 企画を推進された方は、2012年の4月ごろから「繁昌学」のご講義を担当いただいてきた。このころから京都のまちづくり活動として、神輿の再生、渡御の復活を思いつかれたようであるが、今回の5月下旬の企画は、2013年2月から。ここで、草案づくり、巡幸のシミュレーションが行われた由。
 3月に役員人事。備品リスト作成。
 4月に氏子同意。学区案内。奉賛金など検討。会場手配。装束など布もの手配。
 5月に、人材配置。最入歳出構想。神事うちあわせ。式次第決定。前日準備。
 神輿巡幸当日は、式後、雨に見舞われたが、巡幸二回目に晴天。美しい神輿の飾りつけもできて、見事な太鼓の演奏共々、大成功の裡に終わる。
 町内から、人々が神輿に寄り添い、各店の繁昌と、人々の繁昌、幸せを歓びあう。
 お年寄りの笑顔が印象的であった。
 祭りと神輿は、その地域の文化を象徴する。
 女神・弁財天は、海洋社会・古代日本社会の船文化・海神の伝統をひき、京にも、豊かな水があることを示し、さらには、この地の女性が築き上げた人生と商業の繁栄。そのシンボルである。インドから日本に渡来された女神様は、世界の海から宝物をもたらし、森を育て、清らかな水を人々に届けて下さった。人々は、木々を育て、鉱物を掘りだし、工芸の文化を高めて、その結晶としての神輿や鉾を生み出す。
 それを担ぎ、笛や太鼓を演奏する人々、それらを歓び迎える人々の衣装を生み出し、社屋やまちなみの住居を創る。
 いま、その賑わいが、このまちに戻ってきて、さらに、大きな質の高い繁昌が創造される。人生のうちで、何度もは味わえない感動である。
 さらに、それ以上に、なによりも、感動したのは、祭りを再生された方々が、地域再生のデザインを構想され、それを、実際に実現されてゆく過程が、一つ一つの「事実」として積み上げられ、経験の総括から、ごく自然に今後の展望を観ておられたこと。
 この場合の「デザイン」は設計における一要素としてだけではなくて、「現実を研究して構想し、実践しながら、是正しつつ、参加者お一人お一人の出番とやりがい、いきがいを創りだす‘営み’であった。
 W.モリスは、19世紀後半のロンドンを文化的に再生する‘営み’を、「世界をデザインしなおす(redesigning the world )」といっているが、まさに、繁昌のシンボルを再生する「文化による‘まちづくり’」が、デザインしなおされているようだった。
 デザインという語に、「‘経験を踏まえた感動のよびもどし’のための構想力」と「構想と地域の人々との応答による実践」「貴重な実践による構想の実現」「実践経験を踏まえた将来の再デザイン=再構想」など、4段階にも及ぶ内容が込められている。
 「これはデザイン概念の変革だな」と感じた。
 中心となられた方は、このデザインという言葉について、次のように、ご説明があった。
「デザインするということは、単に、設計する、計画するという風に理解されやすいのです。しかし、私は、これだけではなくて、デザインには、‘現実的な、体験に支えられた構想を実践して実現する’という意味があるように感じています。
 デザイナーは、絵をかくだけではない。いわば、プロデューサーとして、地域という舞台の上で、監督や、助監督、俳優や舞台装置担当、装置の作成をになう職人、脚本家、歴史家、研究者、多様な演技者、広報担当者、祭りの観光産業化を担う人々、などに、一人一人の個性や実績に応じた出番を提供します。
 その意味では、‘地域は文化が開花する舞台’なのです。」
 この結論は今後の「文化による‘まちづくり’」の定番的な位置を占めるだろう。
 このような結論に到達された創意工夫や努力に脱帽。

今日の話題「文化媒介型商人の教養と専門性」 2013年6月9日

昨日は、ドイツから友人が一時帰国される。久しぶりにお目にかかれて幸せであった。ドイツの都市に住んでいると、日本との雰囲気の差異に驚かされるという。
私も、かねてから、ドイツ市民の教養の高さというか、市民生活における健全な判断力の基礎は何であろうか、と、いつも、考えさせられていた。
そのひとつに、ドイツ市民の研究活動への高い関心があると友人が指摘された。
友人「ドイツに住んでいると、統計が次々と実施されて公表され、紙媒体としても、市民の間に普及していて、いつも、驚きます。」
池上「そうですね。わたくしも、1980年前後、ヨーロッパに留学し、ケンル大学でドイツ地方財政の研究をしていました。そのときも、日本では普及していない地域統計が非常に発達していて、詳細なデータが理解できるので驚いたことがあります。」
友人「最新の統計があると、それを研究して、新たな地域動向を発見し、それを政策化するという発想が産まれます。」
池上「日本人ですと、‘数字はいや’という不思議な雰囲気がありますね。」
友人「ええ、でも、ドイツ人は、統計から、地域の新たな動向を読み取って、対応しようとか、長期的に考えるべきことがないか、考える人が多いですね。」
池上「私は、ウルムなど南ドイツの旧市街、美しいまちなみに大きな魅力を感じています。日本ですと、自分の土地を、どのように使おうと、勝手であるという土地所有者が多いのですが、ドイツ人は、土地はみんなで利用すべきもので、地域での話し合いや合意した計画によってこそ合理的な活用ができるという。
これは、法律で決めるべき問題ではなくて、住みやすさを追求するという市民の合意の問題であり、さらに、いうと、互いの人格を尊重しあって、よりよい生活のために話し合うという教養の問題でもあると思いますね。」
友人「教養といえば、ドイツの地方都市の公務員は‘博士’の学位を持つ人が多いですね。私の住んでいるまちでも、100くらいの公務員のうち、10人は博士ですよ。大半が修士を持っておられて市民生活を研究するのがお好きです。」
池上「自分たちの市民としての生活を研究するという姿勢は素晴らしいですね。私は、いま、日本の職人の質の高さ、生活に密着した伝統工芸の存在にも関わらず、それが市民生活の中に定着してゆかないことに危機感を持っています。地域の生活に関心を持つ知識人が少ないのですね。よいものを市民生活に採り入れようという人々が少ない。」
友人「日本でも、生活に関わる研究領域を、社会人が研究して修士や博士を取れるシステムが必要ですね。」
池上「ええ、努力はしているのですが、力不足で。でも、大事なことですから、創意工夫で実現したいと思います。今日は、貴重な御示唆を頂きありがとうございました。」
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 いま、「文化媒介型商人」について研究している。
 この商人は、生産と消費の間に位置する商人であるのに、ものづくりであれば、生産工程や設計の知識が必要になる。市場を開拓しようとすれば、生活者についての知識・研究が必要である。ひろい教養と文化基盤、それに、高い専門性が必要だ。
昨日のブログでは、次のように指摘されていた。
池上「そうしますと、仲介者としてのSE=システム・エンジニアは、仲介する力量の一つとして、設計など生産者の持つ技術知識が必要で『生産支援者』でもなりますし、同時に、顧客の切実なニーズを発見し、開発できる『生活開発者』でもある。大企業の場合には、組織内で、内部の取引を仲介しますが、多くの企業では、独立した「文化媒介型商人」として、社外の職人や、顧客・消費者と向き合うことになりますね。
友人「そのとおりです。このSEのビジネスにおける位置付けとしては、設計の技術知識をもちながら、営業が持って帰る顧客ニーズを理解する人物です。
 この人物は、専門性の点からいうと、生産者や職人の多様な専門性を融合して身につけていないとつとまりませんし、消費や流通の専門家としての多様な力量を身につける必要があります。いまでは、情報処理の力量も必要ですね。私はこの方々を「トータル・プロデューサー兼‘通訳者’」と言っています(心の中で)。
 設計と営業(顧客)とでは、使っている言語が違う。そのため、意思疎通ができないため、一緒にものづくりをしても互いの目的に沿ったものができない。
 それを打開しるために両方の知識、考えを把握している‘翻訳機くん’が必要で、彼がトータルなプロデューサーとして、各人の出番を準備してくれればね。そうです。それがあれば、両者が目的に向かった商品開発、顧客満足が得られるというふうに思っています。」
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いま、必要なのは、「学位を持つ翻訳機くん」なのであろう。
「翻訳をする人々」を尊重し、学位に値する学術研究者と認めること。

これが日本社会には、切実に、求められている。

今日の話題「システム・エンジニアと文化媒介型商人」 2013年6月8日

昨日、お一人の友人からお便りをいただいた。
池上執筆のブログ「ケイブズ創造産業と文化型商人」へのコメントである。

 
貴重なコメントは、「少し感想を書かせていただきます」からはじまって、次のように指摘されている。私との対話風に構成すると。
池上「私は、いま、時代が‘生活の芸術化’に突入している、と考えています。
あらゆる財・サービスのなかに芸術的デザインや文化性が入り込み、大産業となった。そして、それらを創造する人びと(芸術家・職人・技術者・学術人など)と成果を享受する人々のコミュニケーションが互いの学習によって、人々を人格的・芸術的・学術的に高めあう。
この過程で、商品やサービスが絶えず創意工夫によって改良され、商品の寿命が延びて、企業経営が安定し、税収が落ち着いて、文化的価値と金銭的価値が共に高まってゆく。
19世紀後半に、モリス商会が実践し、ユートピアだよりが描き出した世界ですね。
 
しかし、創造の成果を、顧客などの享受の能力によって両者の人生に活かしあうには、
創造の意味を享受者の生活に即して理解しうる形で翻訳できる仲介者=商人が必要です。
経済学は長らく、商人を排除する形で論理を構成してきましたが、創造産業の発展の中で、ケイブズらが商業再生論を展開しました。この動きを文化経済学として受容し発展させたいと思います。」
友人「創造と享受の‘仲介’ともいうべき人物、『文化媒介型商人』という位置付けは、私の感覚からでは、ものづくりに例えると、システム・エンジニアのような存在に思えます。
 私は、巨大企業で、ものづくり、「商品開発(受注制作)の技術者」をしていました。
その視点から今回の提起を分析しますと、興味深い結論がでてきます」。
池上「これは驚きました。以前、モノづくりをされていたのですか」
友人「そうです。いまは、公共的な仕事をしていて、衛生環境の改善などに関心を持っていますが、人生の原点は、『消費者や顧客の感性や文化性を尊重した‘ものづくり’』でした。でも、いまの、企業体制では、難しいでしょうね。」
池上「もう少し詳しく教えていただけませんか。
友人「まず、商品開発をするには、設計、製造、試験。これらの各担い手が生産者であり、創造型製品を創る職人たちのネットワークあるいは社内組織です。
これらの人々の総合的な成果を受け止めて、各営業部門・担当者や顧客に繋ぐのが‘SE(システムエンジニア)’です。
池上「生産者と顧客や消費者の間に、SEが仲介者として位置付けられるのですね。」
友人「本来は、そうです。つまり、営業の各部門と、顧客となります。顧客と折衝するのは言うまでもなく営業ですが、営業が受けた仕事をそのまま設計に伝えると、どんでもない(使い道がない)ものができる場合があるのです。
 営業は、技術の知識は乏しいので、何ができて、何ができないのか、顧客に説明するのが難しい。
 逆に設計は、顧客ニーズ(生の声を聞く)ことがあまりないので、できる技術はもっていても、それを表現すること、応用・活用して顧客ニーズにあわせることが難しい。
直接話ができてもどのレベルまでを求めるのかなどを詰めるたりするのか、コストとの兼ね合いなど…。
 そこで、求められるのは、技術を最大限に引き出させ、顧客を満足させる役割としての、SE:システムエンジニアです。」
池上「そうしますと、仲介者としてのSEは、仲介する力量の一つとして、設計など生産者の持つ技術知識が必要で『生産支援者』にもなりますし、同時に、顧客の切実なニーズを発見し、開発できる『生活開発者』でもある。大企業の場合には、組織内で、内部の取引を仲介しますが、多くの企業では、独立した「文化媒介型商人」として、社外の職人や、顧客・消費者と向き合うことになりますね。
友人「そのとおりです。このSEのビジネスにおける位置付けとしては、設計の技術知識をもちながら、営業が持って帰る顧客ニーズを理解する人物です。
 この人物は、専門性の点からいうと、生産者や職人の多様な専門性を融合して身につけていないとつとまりませんし、消費や流通の専門家としての多様な力量を身につける必要があります。いまでは、情報処理の力量も必要ですね。私はこの方々を「トータル・プロデューサー兼‘通訳者’」と言っています(心の中で)。
 設計と営業(顧客)とでは、使っている言語が違う。そのため、意思疎通ができないため、一緒にものづくりをしても互いの目的に沿ったものができない。
 それを打開しるために両方の知識、考えを把握している‘翻訳機くん’が必要で、彼がトータルなプロデューサーとして、各人の出番を準備してくれればね。そうです。それがあれば、両者が目的に向かった商品開発、顧客満足が得られるというふうに思っています。
 
池上「素晴らしい位置づけですね。このような人物を文化政策・まちづくり大学院で教育すると広言しては来たのですが、何か、夢か理想か、という扱いを受けて、悔しい思いをしてきました。あなたの考え方で、一方では、職人・芸術家・学者などを再教育し、他方では、顧客や消費者を再教育して、文化媒介型商人を増やしてゆき、創造型商品・サービス事業を各地で展開したい。これが願いです。
友人「たしかに、今の社会では、文化媒介型商人は、組織の内外で、位置づけが全くない。それで、企業も、行政も、大学も、大きな損失を出していると思うのですが、管理者と呼ばれる人々には理解がゆきとどかないことが多い。このような力量のある人々は、上司から恐れられていて彼らには「自分が追い越される」という被害者意識が強い。
 自分の経験としても、先輩にはシステムに強い方がおられて(ここでは設計者として考えていただければ)、みんなが彼を頼って、システムの構築を依頼するのですが、依頼者がシステムの知識がない場合には、できあがったものほとんどが、お蔵入りになっている。情けないことです。
池上「そのとおりですね。大学の世界でも、職人型教師の力量をよく知っていて、同時に、学生たちのニーズを把握し、学生の生涯にわたって付き合って生活技術の開発を考えてゆこうとする人間は嫌われます。管理者やそれと組んだ人々は、教師や学生たちが自分を乗り越えて進むことを恐れるからです。でも、いつまでも、この調子では困りものですね。」
友人「及ばずながら、わたくしも、積極的にやるべき仕事だと思って努力してきました。私がからんだものは、私自身が情報処理技術者の資格ももっていることもあり、SEと試験を請け負い、そうして作り上げたシステムは時代が変わっても引き継がれて、この厳しい時代に生き残っていますよ。
 この差は、SE、あるいは、文化媒介型商人の積極的な役割を自覚して実行し、世間に認めさせ、習慣化させる人間が必要なことを示しています。このような人間が、いるかどうかこそ、企業や行政、大学の命運を決めるでしょう。」
 池上「同感です。」
友人「創造者、享受者の間に仲介者が必要というのは、すごくわかるようにな気がします。
現状として、なぜ、このように重要なものが、自然的に生まれてこないのかと、不思議に思いますが。
強いて私なりに理由付けをしてみますと、やはり、今の、ビジネスにおける「金銭的価値優先」の考え方に原因があるように思います。
 例えば、SE、設計者は、会社の利益を生み出すものを作るためという意識が強い。これが、仕事の位置付けですから、「創造性」については、二の次になりやすい。他方、顧客は、創造を享受する習慣がないから、製品を買い利便性を高めれば、製品には、創造性がなくとも、売れてゆく。流行が変化すれば売れなくなることは分かっているのに、売れる間に儲けようとするから、無理をして、在庫を抱えてしまう。
新たな利益を産むために、いい製品を作ることが会社への貢献である、という考え方。ここには、金銭的価値や利便性の向上という点で、互いに利益をもたらしあうという共通の目的が見えやすいし、実現しやすい。しかし、不安定で崩壊が観えている。
しかし、創造者と享受者、それに加え、文化を媒介する仲介業者(商業人)は、金銭的価値や利便性よりも、創造性、創造的表現、感動、耐久的で長続きのする製品などに関心が向く。創造と享受のコミュニケーションが継続すれば、製品は常に改善される。
流行に振り回されることもない。
が、『創造と享受』の関係は、人々の習慣ではないから、一人一人はそう考えていても、同じ目的で同じベクトルに乗るのが、難しいのではないでしょうか。若しくは、共通の土台となる文化を模索しながら、創造する人びとにも、享受する人びとにも、ともに、文化的な価値をもたらし、また、金銭的な利益を産むという共通のイメージがつきにくいのかなと思いました。」

池上「ありがとうございました。創造と享受の習慣を社会の文化として推進できる人材の教育こそ、最も必要なようですね。ぜひ、ご協力をお願い申し上げます。心より感謝しつつ。」(完)

今日の話題「新経済学の原点=文化を媒介とした創造と享受」2013年6月7日

 いままで、経済学は、二つの商品を交換するところから、研究をはじめた。
しかし、いま、「文化媒介型商人」の存在が、創造型経済にとって、必要不可欠の存在であるということ。これが明らかとなった。
 すると、商品の交換を、A.スミスのように、酒1瓶=A商品と、肉500グラム=B商品を、酒屋と肉屋が交換するという風に把握するのは、古い時代のことだということになる。
 いまは、すべての商品が「創造性」を持っていないと、消費者が買ってくれない時代なのだ。そうなれば、経済学の出発点は、
 
 創造型商品A文化媒介型商人C創造の成果を享受できる顧客B
 
という姿に変化することになる。
 すべての経済学の教科書が、将来は、この形から出発することになるだろう。
 そうすれば、経済学部や大学院で学ぶ学生は、細かな限定を、いっぱいに、つけられた商品交換のモデルについて説明を聞いているうちに、経済学はなんと分からない学問なのだろうと感じる必要はなくなる。
 創造型商品Aは誰もが手にしたことのある、iPadとその生産者、 創造の成果を享受できる顧客Bは自分たち、消費の買い手。
 そして、文化媒介型商人Cは、アップル株式会社COE故ジョブズ氏であると、容易に想像できるからだ。
 この商品はデザインが美しくて手触りがよい。手に取って操作してみたくなる。操作してみると、生産者の創意工夫の跡が明らかな「創造的アイディア」の証拠が至る所に観られるだけでなく、顧客も、自分でソフトを開発して、自分なりの「もの」へと創意工夫できる。感動しながら、自分も創造への参加が可能になるのだ。
 このような両者の創意工夫を引き出しうる仕組みを、この新たな装置に込めたのが、故スティ-ブ・ジョブズであった。
 彼は、多様な「創造する人びと」のもつ特徴を見抜く「眼力」があり、それぞれの個性と才能を生かす場を提供するプロデューサーとしての力量があった。これは、職人型人間をコラボレーションさせる能力であり、職人の能力を顧客に伝え、理解させ、顧客自身が創造者となって参加できるシステムを構築していったのである。
 かれは、端末という計算機能に優れた装置を持つ製品を根本的に変化させた。
 このように、ジョブズは、文化媒介型商人として、職人型人間と、それを理解する参加型人間を結びつけ、両者のコミュニケーションが無限に広がってゆくことを期待したのである。
「文化を共通の基盤とした、創造と享受のコミュニケーションを結び付けうる人がより多くなればなるほど、商品やサービスの質や量は充実し、職人の生産性も高まり、顧客の享受する能力も高まってゆく。この過程こそ、職人と顧客が人間能力を開花させて、地球の有限な資源から、無限の可能性を引き出すことが出来る。」
これを文化基盤と呼ぶとすれば、経済発展は、この文化基盤の基礎上で、無限の可能性を引き出される。これが、現代経済学の基本原理ではないだろうか。
それは、便利に使えるという機能性だけでなく、音楽やデザインという美的なものへの憧れと結合した。さらに、文字情報、映像や写真などを編集して人々の人生や自然、社会などの複雑な動きを個々人が自分なりに理解して、真実を発見する手掛かりを生み出した。
この真実の中には、自然と人間の共生を可能にする無限の智慧や、人間同士の譲り合いによる無限の智慧や財宝の生産を展望する道が拓かれる。

新経済学は、ここから出発するのだ。

今日の話題「ケイブズとボウモル」 2013年6月1日

前回見たように、「文化媒介型商人」の研究や追求は、現代経済学の最重要な課題となるであろう。
ケイブズも、創造産業の研究が「従来の経済学の仮定を超えて」、新たな領域を開拓せざるを得なくなっていることを示唆する。彼は言う。
「創造産業は本や雑誌出版、ビジュアルアーツ(絵画、彫刻)、舞台芸術(演劇、オペラ、コンサート)、音楽、映画やテレビ製作、またファッションやおもちゃ、ゲームさえも含む。
この分野を研究している経済学者は主に、卓越した舞台芸術への公的補助金について焦点を当てている。」(R. E. Caves, Creative Industries, Contracts between Art and Commerce, Harvard U. P., 2000.pp.1-2.
 上の引用文において、「この分野を研究している経済学者」とは、誰か。
 従来、経済学者で「卓越した舞台芸術への公的補助金について焦点を当て」てきたのは、文化経済学の開拓者の一人、W.G.ボウモルであった。彼の主著、W.J.ボ-モル,W.G.ボ-エン共著池上惇ほか監訳『芸術と経済のジレンマ-』芸団協出版、1993年。原著:W.J.Baumol & W.G.Bowen,Performing Arts;The Economic Dilemma,MIT Press,1966.は、1960年代前半のアメリカ合衆国、舞台芸術に関する大規模な調査と、その結果を理論化したものであった。
 彼は、この著作で、当時の舞台芸術を経営する劇場や劇団が「卓越した俳優などへの報酬」を確保しようとすれば、チケット価格などを高価なものとせざるを得ず、その結果、観客は高額所得者や知識人・学生などに限定されると指摘している。その理由は、劇団や劇場の経営は、自動車などの工業部門の経営と比べて、人的能力への支払いが多くの比重を占め、生産性が低いので、投資領域としては、魅力のないものとなるからである。
 しかし、他方、劇団の経営は、地元の人々にとって、自動車産業では見られない、「直接的なサービス」を提供する。これを、外部性という。
すなわち、卓越した俳優の演技は、劇団の所在地におけるコミュニティの名声を高め、その地域の「格」を高め、演劇による教育を可能とし、ローカル・ビジネスを振興する。
 そこで、卓越した人材を確保しながら、経営を継続しようとすれば、外部性からの便益を得ている、コミュニティ構成員からの税財政に注目せざるを得ない。すなわち、コミュニティからの公的補助金を劇団に交付し、さらには、企業などからの免税つき寄付金を集めて劇場を支援する。
 これによって、卓越した舞台芸術の持続的な発展が可能となる。
 ボウモルが構想した卓越した舞台芸術の振興策は、このようなものであった。
 ケイブズは、ボウモルの研究成果は、卓越した舞台芸術事業など、「創造産業」を研究対象とした時、芸術家などの創造性を高めつつ、その成果を世に出すうえで、最重要な問題を無視していると批判する。
 彼は言う。
 「経済学者達が創造的活動に対する公共政策について考えをめぐらせていたとき、なぜそうした活動が現在見られるような方法で組織されているか、という疑問に対してその回答をほとんど無視してきた」と(Caves, ibid.)。
 確かに、ボウモルは、劇場経営などを、投資、コスト(卓越した人材への報酬を含む)、売り上げ、企業所得などの流れとして把握してはいるが、「創造活動が、どのような方法で組織されているか」には関心がない。
 その理由は、ボウモルが、実演芸術サービスという「創造活動に関わる事業」を研究の対象としているにもかかわらず、この事業からの産出を自動車産業からの産出と単純に比較して「外部性はあるが‘生産性の低い産業’」としてのみ見ているからである。
 この見方は、(外部性への配慮という点を除けば)生産者が財をもって消費者と市場で出会う。そして、需給関係による自由競争価格で契約するという「ミクロ経済学」のモデルに過ぎない。
創造活動を行う産業は、生産性の点では低いにもかかわらず、「創造」という特性から見て、自動車などの「普通の市場」とは、まったく異なる方法で市場が形成される。そこでは、生産者と消費者の取引の間に、両者を媒介する商人が登場する。この市場は、普通の市場ではないのだ。
 では、「創造」という視点が入ってきたとき、市場は、どのように変化するのであろうか。
 ケイブズはいう。
「どのようなタイプの芸術家であれ、『気の合った』パートナーと協力し、そして、おそらくは他の芸術家とも同様に協力することによってのみ、創造的な過程が提起する課題を達成できる。
画家は画商を必要とし、小説家は出版社を必要とする。映画の撮影は俳優・ディレクター・脚本家・カメラマン・プロダクションデザイナー・メーキャップアーティスト、そして、ある意味では、自分を芸術家として位置づけ創造活動をプロデュースする人によって成り立っている(これらに加えて、トラック運転手や会計士のように芸術家とは見られない人も必要)。
こうした協力は、握手で済まされる取引から念入りな契約書の締結に至るまで多様である。芸術プロダクションの中には、有名な交響楽団や、ハリウッドの映画スタジオのように1930年代に生まれて引き続いているものもある。」(Ibid.
 ケイブズが映画の例であげているのは、「アート(映画)・プロデューサー」による多様な人材の結合と、それぞれの個性や職能を生かしあった創造的成果の産出過程である。
 ここで、アート・プロデューサーは、職人技を持ち、徒弟制度の中で、育ってきた芸術家を選抜して、芸術家労働市場の中で、芸術家を教育しながら、かれらを、多様な有能人材と結合して創造的成果を生み出す。この成果が需要者によって感動を持って受け入れられるために、アート・プロデューサーは、需要者の文化状況や享受能力を調査し、評論家や批評家との交流によって、予測不可能な「不確実性」に挑戦する。チケット価格は観劇の位置や音響効果によって多様な価格帯が生み出され低所得層の参加も保障される。
 創造産業は、アート・プロデューサーに象徴される「文化媒介型商人」が組織する産業である。それは、商業とアートとの契約関係なのだ。これがケイブズの研究結果である。
 この過程に、公的補助金が介入できるかどうかは、補助金の金額よりも、質の高い審査のシステムによって、よいものが評価されるかどうか。アート・プロデューサーが、審査員を審査する力量にかかっている。
 このような新しい視点を持った創造産業研究は、アーツ・カウンシルのような公的補助金審査機関よりも、芸術家や多様な専門家への「目利き」ができて観客や読者を創造的に開発しうる質の高いアーツ・プロデューサーの育成システムの構築に、より大きな関心を寄せるであろう。
 こうした人材が公的補助金審査機関に入ることになれば、創造活動と、その享受のシステムは、より一層、充実するからである。
 このような人材を生み出すシステムを構築すること。これが、今後の文化政策の根本問題となることは間違いがない。
 これに成功するものは、創造産業というトリガー産業の発展を保障することができる。これに失敗すれば、量産型保守的産業復活の前に、創造産業が敗退し、長期不況と大量失業社会が継続する。
 アーツ・プロデューサーが最も必要とするもの。
1.現代社会に通用する「豊かな良識」を基礎とした芸術的感性(総合学術・感性力)
2.各地の多様な創造現場への訪問・調査と、地域固有文化を生かす文化型商人産業・実験および起業能力(文化型商人産業力)
3.現代文化経済学・文化経営学・文化政策学の研究能力・教育能力(文化経済学・学術研究教育力)

今日の話題「ケイブズ創造産業と文化型商人」2013年5月31日

前回まで、ケイヴズの創造産業論に注目した。
今日は、ケイブズの研究成果が、文化経済学に対して、どのような研究対象を新たに提起したかの検討である。
この検討は、文化経済学や文化経営学、文化経済学に及ぶ、広範囲な領域にまで、深い影響を及ぼす可能性がある。
前回、観たように、ケイブズは「創造活動を担う事業や産業と、それらを複製したり、放送したりして市場に出してゆく産業との関係」を解明した。
繰り返しになるが、彼によると、これらの創造産業の特徴は「芸術家などの創造活動を担う人々や組織」と、創造の成果を享受する消費者や顧客との間に、「その成果を出版したり、映画化したり、放送したりする人々や組織」が仲介役として登場する。
すなわち、芸術作品やデザインのよい商品などが市場で取引されるには、創造者(クリエーター)と、享受者(消費者であって創造性を受け止めうる能力開発を追求する人びと)の間に、商業人(仲介事業)というべき人物が介在する。
この介在なしには、創造の成果は、総体としての、消費者のニーズに応えた財やサービスとして生かされることは非常に難しい。同時に、このような商業人が真の芸術文化を理解し、消費者の享受能力を開発したならば、創造の成果は最も確実に、社会の中に定着するであろう。
問題は、このような力量を持つ商業人を、私たちの社会が育成し、「卓越した商業人を系統的、体系的に増加させるシステムを構築しうるか、否か」にかかってくる。
T.パーソンズによれば、社会の卓越した知識や文化を次世代に継承するには、「大学・大学院システムの構築」が最も重要であるとされているから、このような商業人を育てる大学や大学院の教育とは、どのようなものか。
これを検討して、そこから、大学や大学院の在り方を見直してみるのも、ひとつの方向ではないか。
私は、従来、文化経済学を基軸とした、文化政策・まちづくり大学院大学を創設しようとして、取り組んできた。その意欲や推進の原動力として、私を突き動かしているのは、ことによると、このような人材育成への強い期待があるのかもしれない。
このような人材は、公務員であってもよいし、民間のビジネスマン・ウーマンであったもよい。大学の研究者であってもよいし、NPO人であっても、あるいは、協同組合人で当てもよいのである。
ただ、「ある職能を持って人に雇われる学者やサラリーマン的人材」であっては、難しいだろうな、とも、思う。
それは、このような人々は、創造性を理解して、他人を教育することに、あまり関心がなく、自分の達成した知識の成果を独占して、他人を恐れ入らせ支配することに、興味を持つ人々が多いからである。
創造性を理解して他人を教育することに関心を持つ人々を「文化媒介型商人」と呼ぶことにすると、このような商人像は、自分の達成した知識水準に満足せず、常に新たな創造的なものに、強い関心を持って、すぐれたクリエーターを発見し、その創造の成果を、消費者に教育しながら、市場を開発するであろう。この活動は、大学のポストに座っていたのでは達成できない。かれらは、大学や大学院のポストに就いたとしても、常に、創造の現場と接し、社会に開かれた教育の場を生み出して活動する。
さらに、自らも事業を経営して、実際に、事業を永続させ、さらには、公務員にも挑戦して、公共政策としての「創造と享受の場づくり」にも挑戦するであろう。
産・学・公共を歩き回り、三者の連携を重視しながら、「文化媒介型商人」としての自己啓発を常に創意工夫して実現する人間。

これは、ことによると、現代の「全人」の姿なのかもしれない。

今日の話題「ケイブズ創造産業における労働の特徴」 2013年5月27日

ケイブズは、創造産業における労働の特徴を整理して、次のような示唆を行っている。
創造的な財やサービス、それらの生産過程、および、創造的な芸術家の選好や嗜好などは、創造性が、ほとんど役割を演じない経済の他の分野とは本質的に異なったシステムを持っているということである。こうした違いは、経済の他の分野と区別するような、創造活動の基礎となる性質が原因である」と*。
 
Ibid.,p.2.
 
さらに、創造的なサービスの特徴として、以下の諸点を指摘している。
 
1)まず、需要の不確実性という問題がある。すなわち、ケイヴズによれば、「消費者は、現実に財が生産されておらず、目の前に置かれてもいないのに、新たに生産される創造的な生産物をいかにして評価するのであろうか。それは、非常に不確実である。その財は、歓呼で迎えられるかもしれないし、生産コストをはるかに上回る収入をもたらすかもしれない。あるいは、その財に積極的な価値を見出す顧客をほとんど見出しえないかも知れない。」リサーチや事前の検証は全く効果がない。なぜならば、創造的な財の成功は、すでに存在する何らかのニーズを満足させるかどうかによっては、ほとんど説明されないからだ。」*
2) それにもかかわらず、創造活動を担う人々は、一種の「職人=クラフツ・パーソン」であって、財が販売された後も、自分の生産物に関心を持ち続ける。
3)創造の成果は、「多様なスキル」をもつ人々のコラボレーションを必要とする。
4)差異のあることを前提とした創造の成果を特徴とする。
5)ある秩序のなかで差異をもつスキルが存在する。
6)時間が決定的な役割を果たす。
7)創造の成果には、持続性があり、クリエーターには、著作権料収入という形で、持続的な収入がもたらされる。
 
 *Ibid.,p.2-3.